2010年1月12日火曜日

NHKクロ現:変わる巨大メディア・新聞……そうだわな

立花隆をゲストに呼んでクニヤが「分析」:
クローズアップ現代 NHK:"私たちにとって身近なメディア・新聞をかつてない変化の波が襲っている。世界の新聞ジャーナリズムをリードしてきたアメリカ。収入の7割を占める広告収入が、インターネットの拡大や不況によって激減。新聞の廃刊が相次いでいるのだ。ピューリッツアー賞を何度も受賞してきたニューヨーク・タイムズ紙や、西海岸を代表するサンフランシスコ・クロニクル紙など有名新聞社も経営難に陥っている。新聞社が消えたことによってジャーナリズムの「空白」が生まれ、汚職や選挙違反が増加するのではないか、との専門家の指摘もあり、ジャーナリズムをどう守るのか、国を挙げた議論も始まっている。一方、収入の7割は販売に依存し、経営構造がアメリカとは違う日本でも、将来の生き残りを賭けて新聞業界の取り組みが進められている。日米の現状を通じて、新聞ジャーナリズムの行方を展望する。"

まあ、立花隆の言うとおりだろうね。行き着くところまで行き着くしかない。

トクヴィルは『アメリカの民主政治〈上〉 (講談社学術文庫)』で、新聞を読むアメリカ開拓民家庭の姿にアメリカの将来を確信した。でも、当時のアメリカの新聞といえば、どの町でジャガイモの値段はどうだとか言うしょせん「情報誌」。トクヴィルは「情報」に敏感なアメリカ大衆の姿にこそ近代資本主義の萌芽を見たのである。ところが、いつのまにかそれを「ジャーナリズムはエライ」というインタープリテーションにすり替えられてしまった。エライのは情報であって新聞ではないのである。それを誤解し、新聞は国民大衆を「啓蒙」するエライ存在だと思い上がってしまったのだ。

若造の新聞記者ですら社旗を立てた黒塗りハイヤーに乗って取材に行くようになり、業界団体は資料完備のソファーとベッド付の「記者クラブ」なんかを用意するようになり、マスコミはますます増長するようになった。

これはバブル。長く続くわけもない。案の定、今のザマ。今まで調子に乗りすぎていただけの話にしか過ぎない。バブル崩壊にもいい面があるのである。

情報が欲しければ通信社からのテレタイプ(今のネット配信)で充分。コラムとか解説なんかも、直接コラムニストや学者のブログから入手できるようになった。新聞が唯一優位性を持つのはアソートメント(編集)であろうが、国民はあいつらの勝手な価値観に基ずく押しつけ編集にはもううんざりしているのではないか。

いまだに「既製品」のインタープリテーション(マスコミ編集)を必要とする人たちがまだ居ることは居る。自分じゃ論理の組み立てがうまくできないので「アサヒ的価値観」とか「産経的価値観」をそのまま「買い込み」、それをオウムのように受け売りする人たちだが、段々ネタバレになり、落ち目の絶滅危惧種。新聞も売れなくなる。

しかし問題はむしろNHK。あの二社(アサヒと産経)はアホ丸出しだから買わないという人も、NHKからは視聴料を強制的に取り立てられている。NHKはアサヒと産経を足して二で割ったようなジャンクフードのミックスランチ。国民は自分が悪い趣味に洗脳されるばかりでなく、そのコストを負担しなければいけないのだ。これはもうジョージ・オーウェルの『1984』の世界。

書いていると、あまりにばからしくなってくるので、もう止める。

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